ソフトウェア開発チームがMVVを定めるべき理由

マネジメント

ソフトウェア開発において「技術的に正しいか」を議論することは重要である。しかし、それだけでは不十分である。技術的な正解というものは、技術のトレンドや実行環境、あるいはビジネスフェーズの変化によって容易に変容するからである。

論理が整っていることは大前提だが、変化の激しい開発現場において、チームが一貫性のある評価軸を持ち続けるためには、拠り所となる「価値観」が必要不可欠である。

開発チームにおけるMVVの再定義

MVV(Mission, Vision, Values)には多様な解釈が存在するが、本記事ではピーター・ドラッカーの組織論をベースにしつつ、ソフトウェア開発チームの実務レベルで機能するようにその解釈を再定義する。経営レベルの壮大なスローガンではなく、「自分たちのドメインにおいて、誰に、何を提供する専門集団なのか」にフォーカスすることが重要である。

  • Mission(任務): 「我々は何をもって貢献とするか」。自分たちが価値を届ける対象に対し、どのような変化をもたらすチームなのか。
  • Vision(未来像): 「我々の理想の状態は何か」。ミッションを果たし続けた結果、実現したいチームやプロダクトの姿。
  • Values(信念): 「我々は何を正しいと信じるか」。日々の設計判断やトラブル対応において、優先順位を決定する際の行動規律。

チーム人格の定義:どうやって考えるのか

MVVはリーダーが独断で決めるものではない。チームを一つの「人格」として定義するためには、メンバー全員の認識を同期させるプロセスが必要である。

  1. 「我々の顧客(利用者)は誰か」を問う: 自分たちのコードやシステムを直接使う相手は誰か。彼らの抱える課題をどう解決するのが、このチームの「任務」かを明確にする。
  2. ドメインとコンテキストの理解: チームが向き合う領域が、チームという人格にどのような役割を求めているかを言語化する。
  3. 判断基準の抽出: 過去の設計判断を振り返り、「自分たちが何を正しいと信じて動いたか」という共通の価値観を抽出する。

このプロセスを通じて定義された「チーム人格」は、人が入れ替わっても継承されるべきアイデンティティとなる。また、MVVは一度定めたら固定するのではなく、状況の変化に応じて柔軟に変更していくことが重要である。

「チーム人格」の一貫性を保つ

チームは個人の集合体であるが、一つの「人格」として機能すべき存在である。チームという人格は、そのチームが向き合うドメインやコンテキストによって規定される。

メンバーの入れ替えがあったとしても、チームが提供する価値や振る舞いに一貫性がなければ、周囲からの信頼は得られない。MVVを定めることは、いわば「チーム人格のアイデンティティ」を定義する作業である。この軸があることで、人が入れ替わってもドメインに対する向き合い方は継承され、一貫性のあるチームであり続けることが可能になる。

意思決定の精度と速度を上げる「思想」の共有

設計や技術選定において、最後の一手を決めるのはチームの「思想」である。もちろん、論理的な正しさ、定量的なデータ、あるいは定性的な判断軸といった多角的な判断要素は重要であり、これらを軽視すべきではない。

しかし、複数の「論理的に正しい選択肢」が並んだ際、共通の思想(Value)がなければ議論は空転する。

  • 「デリバリー速度を優先して負債を許容するのか、堅牢な設計を貫くのか」
  • 「特定のユースケースに特化した最適化を行うのか、将来の転用を見越した汎用的な抽象化を行うのか」

これらに対し、MVVを通じて考え方の共通認識を持っておくことで、チーム人格としての意思決定がスムーズになり、不毛な議論の空転を防ぐことができる。

自律的な改善を推進する主体性

自律的なチームとは、チーム人格として自ら意思決定し、作業を完結させられるチームを指す。

個々のメンバーがバラバラに動くのではなく、チームという主体(人格)が「今の開発プロセスは最適か?」「目指している方向性は正しいか?」を常に問い直し、自ら柔軟にアップデートし続けられることが重要である。MVVは、この自律的な改善サイクルを回すための羅針盤となる。

MVVを形骸化させないための運用

MVVを生きた指針とするためには、日常の風景に溶け込ませる工夫が有用である。

  • SlackのCanvasやKPTの振り返りボードなど、日常的に目に入る場所に掲示する。
  • 採用候補者に対して、メンバーが自分の言葉でチームのMVVを語れるようにする。
  • 意思決定に迷った際、判断の拠り所としてMVVを振り返る習慣をつける。

基盤開発チームにおけるMVVの実例

筆者の経験に基づき、基盤開発(プラットフォームエンジニアリング)を担うチームにおけるMVVのモデルケースを例示する。チームの注力ポイントによって、その構成は変化する。

パターン Mission(任務) Vision(未来像) Values(信念)
開発者体験重視 複雑さを抽象化し、開発者が実装に没頭できる環境を作る 誰もがアイデアを即座にソフトウェアとしてデリバリーできる世界 利用者起点の設計 / 手間ゼロの体験
安全性・統制重視 セキュリティをデフォルト化し、自由と統制を両立させる 全エンジニアが意識せずとも、最速でアクセルを踏み続けられる状態 既定で安全 / 透明性の確保
信頼性・規模重視 100倍のスケールにも耐えうる堅牢な土台を維持する あらゆるプロダクトが、最小コストで最大のスケールを享受できるインフラ 信頼性を最優先

結び

エンジニアリングは論理の世界だが、その論理をどの方向に働かせるかを決めるのはチームの意志である。技術的正しさが環境によって変動するからこそ、チーム人格としての共通認識を持ち、一貫性がありつつも柔軟な開発を推進するためにMVVを定義すべきである。そして定めた言葉を羅針盤として、チーム自らがその在り方を磨き続けることが、結果としてプロダクトの価値を最大化させる近道となる。